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随分落ち着いてきましたよ。その4


次の日、叔母が家の片づけを手伝ってくれた。
こればっかりは1人では気が滅入りそうだったから、ありがたかった。
夕方、叔母が使う電車が復旧したのを確認して駅まで送っていった。
ついでにスーパーによったけど、インスタント食品もパンもなかった。
野菜はたくさんあったけど(しかも安かった)、料理する気にもなれないし温めるだけのお芋とかを買った。
それからパン屋さんによって最後のアンドーナツを1つ買って帰った。

 

日曜日も何をするわけではないものの、気持ちだけが落ち着かなくて、ずっとテレビを見ていた。
出かけてる最中にまた大きな地震があったら・・そう思うと外に出ようと思わなかった。

本当は週末やらなければならないことがいくつかあったのだけど、
そんな気分にもなれなかった。

 

やっぱり1人は怖いから何日か落ち着くまでどちらかの家で一緒にいてほしい。
そう鮭殿に頼んだところ、
交通機関も麻痺していろいろお互いたいへんだから、それぞれで乗り切ろう。
みたいな事を言われた。

 

あたしはこの事を、一生根に持つと思う。うん。

 


おしまい。
(あと少し続きます)
 

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今日の花粉量は兵器でした。

昨夜の地震は、中火の弱火みたいな感じでした。
ここ数日、弱火の強火程度の地震が明け方とか夜とかによくあったのですが。

どんくらいの震度だったんだろーって思ってテレビをつけた時には
東京なんて所詮中火でしょって言わんばかりに仙台一色になりました。
そりゃそうだ、震度6強だもん。

ちなみに鮭殿のマンションは水が出なくなったそうです。(今朝なおったらしい)


常に油断させない地震。
こんな女の子ならモテモテでしょうけど、落ち着きのないメンズは嫌われちゃいます。
(不謹慎でごめんなさい)
 

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随分落ち着いてきましたよ。その3


突然メールが入った。あんだけメールも電話も繋がらないのにいったい誰?
と思ったら比較的近くに住む従兄のお兄ちゃんだった。
バイクで迎えに来てくれるって書いてあったけど、次いつ連絡がつくか分からないし、
こんな人が溢れかえってる状態で待ち合わせできる自信が全くなかったから、
丁重にお断りメールをいれて(なぜかこれも送信できた)歩いた。


地元の駅についたらどこもかしこも閉まってた。
スーパーは開いてて、野菜もお肉も安売りしてて、お総菜だけが何もなかった。
(そりゃ、こんな状態で夕飯作りたくないよね)
叔母がうちに泊まるらしかったから、少しだけ食材を買って帰った。

 

8時過ぎ、3時間弱で帰宅できた。
あとで皆の話を聞くとかなり早いほうだったみたい。

 


家について状況確認。

寒い・・・。あ、窓がどの部屋も全開だ!

電気ついた! 水でた! ガスでないorz
こんな寒いのに今日はお風呂は入れないのかな。

次っ。
あ、テレビ倒れてる、食洗機の倒れてる・・・・。
お皿がーーーコップがーーーっ!
仏壇ってこんな間抜けな見た目だったっけ?(中身が飛び出て何もなかった)
電話つながらない!っていうかこの巨大な家具が動いたの?


落ち着いてよくよく見ると
家電は倒れただけで壊れなかったし、
ガスも安全装置が作動しただけ、電話も地震でコンセントが抜けただけで問題なかった。
仏壇も家具も動いただけだから、
結果的には食器が割れただけで済んだ。
心配だった自営業の商品も奇跡的に1点だけの被害で済んだ。
(1点でも父の作品と思うと寂しいけどね)

 

横揺れのせいか(鍵かけてたはずの)窓という窓が全部開いてたのには笑えた。

 


とりあえず、ガスを復旧させて、家電を起こして、それ以外は全部明日やろうと決めた。
(だってくたくたですよ奥さん、割れものは危ないけど近づかなければダイジョウブ!)


叔母が帰ってくるまでの間に、余震・2次災害に備えて備蓄品の確認をして、
お鍋・やかんにお水を貯めた。


叔母が帰りついてから、いそいそとお風呂に入って、あったかい簡単お鍋を食べてリビングで横になった。
怖くてテレビと電気は消せなかった。


夜中、何度か緊急地震速報があって揺れた。その度に飛び起きて窓を開けた。

 

疲れの取れない一晩だった。

 

つづく
 

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随分落ち着いてきましたよ。その2


17:00。 そろそろ腹を括ろうと決心した。
電車が動く気配もないし、日も暮れ始めるし、天気予報は雨が降るかもしれないというし。
それなら暗くならないうちに、道が人であふれないうちに、雨が降らないうちに、少しでも歩いて帰ろう。
同じ都内なら十分帰れる距離。


事務のお姉さんにお願いしてパソコンを貸してもらい、家までの地図を印刷した。


それを何度も見て大体のルートを覚えた。
以前テレビで「東京で震災が起きた時、大通りはラッシュの様な混雑になる」
と言ってたのを思い出して、なるべく裏道を使おうと細かめの地図も何枚か印刷した。


トイレを済ませて、念のために自販機でお水を2本買って、顧客に帰宅のご挨拶をした。
そしたら「こんなのしかないけど」と言って、誰かのお土産のお菓子をいくつか持たせてくれた。

 


17:30 出発、家までは約10キロ。

 

 


たった10キロだけど、普段運動しないアタシがなめてかかると酷い目にあう。
コートをちゃんと着て、手袋もちゃんとして、軽くストレッチして、
荷物は斜めがけにして、地図を片手に持って。

 

歩きはじめて早々、道を間違えた。
結果そっちの方がよかったのだけど、当初予定してた道をそれてしまった。


まだ20分しか歩いてない・・・・。
距離も全体の1/5も歩いないよぅ・・・。


だんだん怖くなって、落ち込みそうになったけど、まだ外が完全に暗くはなってなかったから、
「少しでも明るいうちに前に進まなきゃ」とそればっかり考えていた。


案の定、暗くなってくると、地図が見にくくなるし、道も分かりずらくなった。
でもそのころには大体の方向と地図の感覚を掴めていたから、不安はなかった。


当初の予定通りなるべく裏道を使った。
高級住宅地とか、下町の商店街とか、階段しかない急な坂道とか。
大きな通りはラッシュほどではなかったけど、やはり人がたくさん歩いていた。
バスはどれも満員で、道はほとんど動いてなかった。


途中、ヘルメットをかぶってる人とか、黄色い非常袋を持ってる人にあった。
恥ずかしそうにしてたけど、こんな時にちゃんと準備してる会社は素敵だと思ったし、
今日ばかりは、そうゆう目で見ちゃいけない気がした。


距離にして2/3を越えたころ、もう地図を見なくても分かる場所まできた。
ほっとした。
歩き始めて2時間がたっていた。

 


つづきはまた後日
 

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随分落ち着いてきましたよ。その1

3月11日の東日本大地震からの1週間は本当にあっという間でした。
地震がきて帰宅困難になって、家帰ったら家がいい具合にぐちゃぐちゃになってて、
余震におびえて、原発におびえて、停電で途方に暮れて、電車が動かなくて、スーパーから何もなくなって。
雨が汚染されて、野菜が汚染されて、水が汚染されて。
仕事に行ってる場合ではないのに、行かないと腹をくくりきれず、行っても集中できず、
早く帰りたくてしかたかなかったです。
これがすべて10日間くらいの出来事だったなぁ・・・。
次は何だろう?

大分落ち着いたし今更ながら当日の事を書いてみようと思います。


3月11日は朝からいつもの職場(千代田区)ではなく新宿区の顧客先へ1人で直行。
朝、玄関で靴を選んだ時に、なぜか「今日は歩きやすい靴を履こう」とふと思った記憶がある。
あの時、なんでそう思ったのかは思い出せない。

それから午前中はずっと顧客先での作業をして、
遅めの昼食をとって14:30ごろ作業に戻った。
それぢゃ、あとちょっとがんばろーとパソコンに向かってしばらくしたら、

 

 

 


・・・ん?地震?

 

 

 

 

って思ってからはあっという間に揺れが大きくなっていった。

 


顧客先は1階だったんだけど、細長い部屋で壁は全部本棚になってて大量の資料とファイルが押し込んであったから、

 

 


あ、ここにいたらファイルにつぶされて本に頭ぶつけて死ぬ・・・。

 

 

 


そう思った瞬間、鞄(貴重品)持って廊下に走り出た。

 

地震は、なんていうか遊園地のコーヒーカップの上に乗っかってるようなっていうか、
フラフープの上に乗っかったらきっとこんな感じっていうか、
大きく横に円を描くような揺れだった気がする。
あのさ、10回まわって歩こうとするとまっすぐ歩けないでしょう?あんな感じ。

 


揺れがだいぶ落ち着いてきて、(殺人鬼ファイルは場所によってジェンガのごとく倒れたみたい)
館内放送とかがあって、誰かがつけたNHKが流れ始めた。
震源地は東北太平洋沖ですって言ってたから、あー東北はここより揺れたんだなー
怖かっただろうなー大丈夫かなーなんてぼんやり思ってたら、
「大津波警報 15時00分××津波6m到着予定」みたいな速報が出て、(場所は忘れちゃった)
あわてて時計見たらすでに14:54。


あと6分しかない。
いつもみたいに脅された割には意外とちっちゃな津波かな。
でも「大津波」警報なんて、6mなんて、そんなの見たことがない。
皆この速報みてるのかな。
逃げてるのかな。
なんかまずいことが起きてる気がする・・・。


びっくりしてずっとテレビを見続けるものの、結局津波が来たのか来なかったのか分からないまま
いろんなところに大津波警報がばんばん出始めていった。


そうこうしている間に15:15、次の地震が来る。
今度こそマヂでやばいかもっ!慌てて外へ避難した。


これは大きくゆれたり小さくゆれたりしながらずーーーっと揺れてたような気がした。
(実際は2つの地震だったみたいだけど15分くらい揺れてた気がする)


この地震が収まったころから、だんだん皆の目が変わり始めた。
人の心配してる場合ぢゃない。自分たちの事を考えなくちゃ!って。


顧客からは作業は中断してくださいと指示がでたので、
バックアップ取ってパソコンを落として万が一に備えてコードもコンセントから引き抜いておいた。


携帯はとっくにつながらなくて、顧客先の固定電話をお借りして、自社と一番近い親戚に連絡。
自社は回線がパンクしててつながらなかったけど、
運よくつながった親戚には無事なことと、何かあった時の連絡先と集合場所を確認しあって電話を切った。

 

ネットで電車の運行状況をみると全部運休。
これぢゃ自社にも家にも帰れない。
もう少し待機させてもらえるようにお願いしてテレビを見ていた。

 

この時はまだ、もう少ししたら電車が動くと思っていた。
(だってライフラインもネットも問題なかったからさ。。。)

 

その後も何度も余震が来るし、自社は連絡つかない。
テレビでは津波がどんどんどんどん田畑を飲みこんでいく映像が流れた。
なにこれ?津波は海岸にくるんぢゃないの?
なんでビニールハウスを飲みこんでるの?
波が真っ黒だ。車が浮いてる?っていうか家まで一緒に流れてきてる。

 

なに?なんで?

 

映画でもないし、NHKがこんなどっきりやらないし、誤報でもCGでもない。
それでも現実だと受け止められなかった。

 


未だ電車は動かない。

 

 

つづきはまた明日。
 

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tuna

プロフィール

HN:
新巻 きんじろう
性別:
女性
自己紹介:
夫(新巻 鮭)と長女(新巻 蓮 2016.8生)の3人暮らし。

好きな事:食う・旅る・寝る・飲む・遊ぶ
嫌いな事:苦労・忍耐・努力・我慢
好きな色:紫
好きな事:温泉とお魚とお漬物とお酒に囲まれること

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